公民館で学ぶ

11月28日に都祁公民館で「索道の思い出と凍豆腐」と題した講座が開かれました。索道のことを知る方々から話を聞く催しです。奈良市街からも3名の方が参加(内、1名は自転車で!)されました。本校もわたし(校長)と5年担任2名が参加しました。

凍豆腐(しみとうふ)とは高野豆腐のことです。江戸時代の終わりごろ(天保13年・1842年)に小倉(おぐら)に住んでいた杉本武助が高野山から製造技術を持ち帰り、大正から昭和にかけては奈良県の一大産業になりました。都祁の気候は凍豆腐作りに合っていた(事実、29日の朝、針は-3.2℃で高野山は-3.7℃)からです。その凍豆腐の原材料を運び入れ、製品化したものを運び出していたのが「奈良安全索道」と呼ばれるロープウェイ。奈良の京終と小倉の間(全長16.9km)を結び、1952年に廃止されるまで地域の生活を支えていました。

説明する人も聞く人も真剣そのもの。

本校は5年でこの索道を教材化して学習しているので、担任のほうからドローンで撮った空撮映像を紹介したり、索道をもとにして取り組んでいる絵本作りのことを説明したりしました。

参加者それぞれが語られたことをつなぎ合わせていくと、索道や当時の暮らしぶりが浮かび上がってきました。聞かせてもらった話を少し紹介します。

・ふざけて搬器(はんき:索道にぶら下がっていた荷物を載せる台)を押してたらはずれてしまって、「怒られる!」と思って逃げかえったなあ…。
・うちの姉さんは搬器に乗ったら奈良まで行ってしまった。それで、また搬器に載って帰ってきた。怖かったと思う。
・ワイヤーを動かすモーターに付いた大きな動輪の音がごろごろ音がするもんやから、わしらはそれを「ゴロンゴロン」と呼んでいた。
・モーターも最初は発動機(発動機については、長岡市ながおか魅力発信課が作られたホームページに詳しい。興味のある方はこちらをクリック。※リンク承諾済)で動いていたなあ。
・発動機の冷却水が熱くなって湯になったら、それをもらってきて洗濯に使った。
・機械を触っていて怪我をした人もいた。子ども心に恐かった。
・放送塔からよく三橋美智也の曲がよく流れていた。あれで時間が分かったなあ。
・凍豆腐を作るときの茹で汁をもらってきて、学校や家の廊下を磨くとぴかぴかになった。手もつやつやになった。

いずれも当時、子どもだった方々の体験話。貴重な時間を過ごさせていただきました。

登録日: 2021年11月29日 /  更新日: 2021年11月29日